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 HIVとつきあいながら生きていく人たちの将来はどうなるのでしょう? HIVはどのように人生設計に影響を与えるのでしょうか?もちろん、HIVがあってもなくても人生は平たんとは限りません。人によってはHIVより大変な病気や、大きな出来事がたくさんありますし、何が本当に人生に大きな影響を与えるのかはわかりません。少なくとも言えることは、HIVが長期療養可能な病気になってから、将来を長く見据えて生きる人が多くなったということです。
  身近な人からHIV陽性と打ち明けられて、自分たちが失ったものばかりに目が向く時期もあるでしょう。しかし、人生におけるさまざまな可能性や選択肢を狭めることなく、自分らしく生きている人たちもまた、いるのです。
 病院帰りのタクシーの中で泣きじゃくった日から、もうすぐ12年になる。いつまで生きるのかなってびびってた日々から、あっと言う間。そんな不安や絶望感は、時間を掛けて消えて、生き方になって、自信になった。
やっぱり何でも知ることから始まる。病気持ちであることを知り、病気のことを知り、体のことを知り、きちんと付き合えばウィルス持ちでも変わりなく生きていけることを知る。そして人と関わることで、問題視してきたのは自分自身だったと気付いたり、たくさんの発見や学びがあった。その中でもポジとして思うのは、セックスするなら薬を飲むべきという事。一生、毎日薬を飲むのは嫌だと、最初の7年間薬を拒んできた私は間違っていたなと思う。その間に付き合っていた相手に対して、とても失礼だったんだと気付いた。もちろんその時は本気で付き合い、相手に承知の上でセックスもしていたけれど。
 今はきちんと薬を飲んで5年。ウィルスも安定していて、免疫もほぼ元に戻った状態をキープできている。薬は効くだけに体への負担は避けられないから、たくさんの水を飲んだり、免疫を上げる食生活を心がけ、好きな仕事をして、気楽に生きてきたからこそ心身共に健康であり、今の自分の考え方や生き方が好きと言える。
  そんな私も、思いがけずママになれた。計画出産ではなかったけど、この人とずっと一緒にいるんだろうなと思っていたパートナーとの間に出来た神様から授かったプレゼント。2 ヶ月になるベイビーを抱きながら、健康に生まれてきてくれてありがとうと心暖かくなる。健康で産まれるという奇跡のもと、私も産まれたのだなと実感したりして。隣にいるパートナーを微笑ましく思ったり。人生のステージが変わった今、どうやって将来子供に自分の病気の事を伝えるか、きちんと教えてあげられるか、解ってもらえるかが私の新しい課題になっていく。問題ではないが、その時が来たらじっくり考えようと思う。
 今日の私がいるのも、薬はもちろん、今まで支えてくれた人達がいてこそ。病気の事を知った上で恐れていないパートナーはもちろん、打ち明けても大丈夫と思えた友達、悲観的にならなかった強い母親のおかげで、何があっても結局元気に楽しくやってこれて、つくづく幸せを感じる。私のベイビーも、誰かのそんな人になれるように、そしてそんな人達に囲まれて生きていけるように大切に育てていきたい。変わらない事実も見方で変わり、不安や心配なんて吹き飛ばせるって教えたい。ポジだから長生きしたいと思うのではなくて、人として母親としてこれからもっともっと生きていきたいと願う。
 HIV陽性者の長期療養について2008年に行われた調査(※3)では、「将来について何年先まで考えているか」という質問をしたところ、「まったく考えたことがない」という人が17%、1年未満が10%、1年~ 5年がもっとも多く27%、5年~ 10年が22%、10年~ 20年が12%、20年以上が10%でした。
 HIVの長期療養時代のライフプランについて、不確定な要素を感じつつも、自分なりのイメージを持ち始めているHIV陽性者が増えているのではないでしょうか。長期的な視野を得ることで、一度はあきらめていた夢や、将来の展望を取り戻す人も少なくありません。それは、学業や進路についてだったり、子どもを持つことだったり、マンションなどの不動産を購入することだったり、結婚したり家族を持つことだったり、資格の取得だったりとさまざまです。
(※3)「長期療養時代の治療を考える」(発行:ぷれいす東京/日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス,2009)
 自分あるいは相手がHIV陽性でも、子どもをもうけて育児をしている人たちは少なくありません。女性がHIV陽性の場合、男性が陽性の場合、それぞれパートナーや子どもへの感染予防の方法が異なります。妊娠・出産の希望があるのでしたら、HIV治療の専門医に早い時期から相談をして、あなたとあなたのパートナーが一緒に考えて計画すると良いでしょう。
 女性がHIV陽性の場合、妊娠中の服薬、帝王切開、授乳を避けるなど、母子感染を予防することで、感染率は日本では0.5%以下になると言われています。どのような方法をとるかは、妊娠の時期やウイルス量、服薬の経過などを考慮して検討します。子づくりに関しては、人工授精という選択肢もありますし、お互いに話し合ったうえで、ある程度のリスクを受け入れて自然妊娠している場合もあります。専門医に事前に相談をすると良いでしょう。
 男性がHIV陽性の場合、精液内のHIVを分離除去して体外受精するなどの技術が確立されています。実施に関してのハードルは低くありませんが、まずは、HIVの専門医に相談をしてみてください。
 昨年、妻は後期高齢者となり、私はその目前の年齢となりました。
 私達は、成年後見人制度の勉強会で出逢い連絡を取り合うようになりました。その数年後、平成の十年頃、彼女より、私はHIVで、これ以上の交際は出来ないとの話がありました。
 この頃、私は断片的ですが、この病の知識が有り、服薬の様子などから、あるいはと思い、さらに手に入る読み物等で知識が増えつつある時でしたので、さして驚く事も無く、聴く事が出来ました。それまでも憎からず思っていた彼女が、涙しつつ告げてくれた事でより身近で大切な人となり、一層、愛しくなったのを、今でも鮮明に思い出します。
 平成の十年頃と云えば、まだまだこの病は、当人にとっては生きにくい時代でした。この重き物を、少しでも軽くし、未来が開かれるよう手助けが出来、ささやかな幸せが見い出せればとの思いで、私は結婚を決意しました。三十数余年、病床にあり、亡くなった父の存在が、私の決意をさらに強くしてくれました。
 この時期、彼女は医師の告知により、身辺の整理をしつつあった様です。結婚と云う話になり、大変驚き、「私は出来ません」と躊躇しました。ならば押しの一手と、残された時を、二人で過ごしましょうと申し入れ、結婚へと至りました。今は転院し、薬効もすばらしく、二人して落ち付いた日々を過ごしております。
 結婚後、新しい人生が、むしろ私に多くの幸せをあたえてくれたようです。
 私は夫と結婚して20年以上。夫の感染がわかった当初は、他の人にも相談できず悩んでいました。ある時、HIVの支援活動をしているNGOにメール相談をし、主に夫は就職相談、私はパートナーの会で訪問するように。
 そんな頃、カップルで参加できる交流会があり、みかん狩りの予定を知りました。思い切って申し込んだものの、カップル同士で会うのは初めてで、緊張して待ち合わせ場所へ。けれど、心配は無用でした。その日の女性参加者は私一人でしたが、パートナーの会で面識のあった方だけでなく、初めてお会いした方とも自然に馴染めました。
 みかん狩りでは、それぞれのカップルが協力し合っているのがほほえましく、気付いたら私も笑っていました。食事中の自己紹介では、各人が話したい範囲で自分たちの事を無理なく語り、その人の経験に耳をかたむける良い時間に。具体的な投薬や闘病体験談も、とても参考になりました。
 その後に開かれた「カップル新年会」でも、皆さんと交流。同じ病を持ちつつ、互いを慈しみ合っている方達と過ごす時間は、心からくつろげるものです。普段二人だけで過ごしていて、病気の事を意識する時は、つい「自分たちだけが何故こんな思いを…」と、ネガティブ思考に陥ってしまう事もあります。でも、同じ立場の皆さんの笑顔に触れて「人生捨てたもんじゃない。生きているって幸せだな」と素直に感じられました。このような交流の機会に是非また参加できれば、と思います。
 長期療養が可能になってから十数年がたちました。今後も、多くのHIV陽性者が高齢者となります。生活習慣病などのリスクも年齢とともに増えていきますし、HIV陽性者は医学的な意味でも老化が早いと言われています。また、高齢化にともなう社会的な課題も多くなってきています。人工透析の施設の確保、老人ホームの入居、介護サービス利用など、まだ多くの分野でのHIVの理解は途上にあります。
 また、同性カップルの場合には、終末期の面会権や生命維持に関する意思決定、死後の財産分与についても法的根拠が乏しいなどの課題もあります。
パートナーと知り合ったのは10年以上前の初夏。
一緒に受けたHIVの検査は、パートナーだけ陽性の結果に…。
その時の担当医に「あと10年は生きられますよ♪」と言われたのです。
少々?長期な余命宣告です(笑)

「余命が数えられる人生なら好きなことしよう!」と開き直ったのか? ゲイに無縁の職場で働いているため同棲することにも消極的だった彼は、すぐに同棲し始め、数年の間にマイホームを購入し、遠方に住んでいた母親を呼び、ゲイであることもHIVのことも母親にカミングアウトとトントン拍子に事を進めました。

そしてわたし達の環境は、世間の男女夫婦の家庭の嫁姑のような状況に至ります。 義母と同居を始めた頃は、「いつ出てってもらってもいいわよ」と冗談とも本気ともいえる発言をされたり、 ゴミ出しの曜日を覚える気がなく出社前でバタついてても代わりにやってくれることもなかったり…。

それでも救いだったのは、義母の血縁であるパートナーが、全面的にわたしの味方をしてくれたこと。 仲良くなってもらうためわたしと義母を連れて海外旅行に行ったりもしました。 だからわたしもめげずに済んだし、 最近では義母はパートナーよりわたしとよく会話するぐらいになりました。

付き合い始めて10年超、パートナーはまだ元気です(笑)
男女夫婦のように姑に気を使いつつ、毎朝のご飯を作ってパートナーを会社に送り出す。今の生活、なかなかゲイカップルではいないかも?(笑)

でもそんな日常がとてつもなくいとおしく、 パートナーの陽性発覚はそりゃあ嬉しくはなかったけど、 決してマイナスではなくわたし達の人生を楽しくさせてくれた大きなきっかけだったのかもしれません。