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 HIV陽性者は、医療機関などでこの病気や治療に関する情報を得て、不安を軽減させていくことができます。しかし、身近な人たちは、本人よりも情報が少なかったり、実感が持てなかったりするため、不安を解消しにくいことが多いようです。
 HIV/エイズという病気について、基本的な知識を得ておくことや、ご自身が相談できる環境を整えておくことが大切です。巻末の「リソース案内」もご覧下さい。
 仕事に行く前にカラカラっと薬を取り出す音。「今日もちゃんと薬飲んでるな」と確認する。前は「薬飲んだ?」と言葉で確かめていたが、一緒にいる時間が長くなるとどうもはしょってしまうようだ。
  深夜になっても帰ってこない時、「薬どうするの?」とメールすると、「すぐ帰る」と返信が。職場の人や友達と飲んで遅くなっているだけなんだけどね。
  付き合ってしばらくして、「薬飲むと変な声が聞こえる」と言われた。「そんな事本当にあるのかよ」と疑いながら、ネットでちょちょっと調べると、「あっ、あるんだ…!」
  異変があっても病院に行かないのにしびれを切らして、わからないから病院の医療相談に電話した。「患者のパートナーなんですが…」「…この患者さん、治療長いのに一回も相談してないです。私も心配ですから、主治医から連絡させますね。」
  後日診察し、薬の副作用かもしれないから薬剤変更に。付き添いで行くと、ドクターから来てと手招きが!? その後、一緒に診察室に入り説明を聞いた。
  それからは付き添いはしてないが、現在も変更した薬も問題ないようだ。知識を得てから病気の事は過度に言わない。でも薬剤変更のきっかけまで作る、実はかなりおせっかいなパートナーかもしれない。
 HIV感染とは、体の中にHIV(エイズウイルス)がいる状態のことです。もしも治療をしないで放置しておいた場合には、特に症状のない期間を経たのちにエイズを発症します。HIVによって免疫力が低下し、日和見感染症(免疫力が弱くなったため、普段は感染しないような病原体によっておきる病気)などの合併症にかかった状態をエイズ発症といいます。
  現在では治療によってエイズ発症を防ぐことができますし、発症しても多くの場合は合併症の治療や免疫力を回復させる治療を行い、回復が望めるようになっています。
 HIVは、白血球の一つであるCD4リンパ球を破壊する働きをもっています。CD4リンパ球は免疫を司る重要な役割をしていますので、減少すると免疫力が弱くなります。CD4リンパ球が破壊されていくスピードはウイルス量(HIV-RNA量)に関係しています。
 このため、専門の医療機関で定期的に血液検査を行い、CD4リンパ球数やウイルス量を測定して、治療が必要な状態かどうか、治療効果があがっているかどうかなどを判断する必要があります。
 HIVの増殖を抑える薬である「抗HIV薬」を複数組み合わせて飲み続けることで、免疫力を維持したり回復させたりするための治療をすることができます。治療法が著しく進歩したことで、多くの人が今まで通りの生活を続けることができるようになり、HIVは慢性疾患に近い病気になったとも言われています。
  しかし、治療の開始が遅すぎて重篤な症状にまで進んでしまったり、障害が残ったりすることが今でもあります。そのため、HIV陽性とわかったら、症状の有無にかかわらずなるべく早く専門の医療機関を受診し、定期的に通院をしながら免疫状態を把握して、適切なタイミングで治療を開始することが推奨されています。
クスリを変更して色々と警戒しながら
過ごして、はや数週間。
これといった自覚できるような副作用もなく過ごしています。

投薬回数が増えたことで、
早くも薬の飲み忘れをしてしまい、
ちょっと落ち込んだり…

朝の分を飲み忘れたことに夜の分を飲む時に気が付いたので
飲み忘れたクスリをじ~っと眺め、
「仕方ない」と気持ちを切り替えて、

携帯のタイマーとか工夫しているのにスキップしてしまうとは…
はやく習慣づけないとなぁ。
 抗HIV薬は、HIVの増殖を抑えてくれますが、体内から完全にHIVをなくすことはできません。このため、抗HIV薬は飲み続けることが大切な のです。また、飲んだり飲まなかったりとか、飲み忘れたりすることで、薬剤耐性(薬が効かない/効きにくい)ウイルスが増えてしまうことがあります。薬剤耐性を防ぐためには、95%以上の割合で、規則的に服薬をし続ける必要があると言われています。
 特に服薬を開始する前は、飲み忘れ、副作用、仕事や日常生活との折り合いを心配する人が少なくありません。しかし、日本では多くのHIV陽性者が工夫をしながら飲み続けることができています。
 また、より飲みやすい薬の登場や、今まで飲んでいた薬の副作用や薬剤耐性などの理由で、薬を変更することもあります。
 息子が発病し入院した時、心臓がはりさけんばかりで上京し、今まで何も出来なかった自分を責め続けた。HIV陽性を知っていた私達、私より大きな息子をしばりつけて病院に連れて行くべきだった。
 この子は自殺するかもしれない。何も言えなく貝のように口をとざし、たゞたゞ夜景をぼんやり見ている。「いっそ三人で消えてしまいたい。」と思った。障害が残った我が子はこれからどうなるのだろう。色々の後悔ばかりを思い、何も出来ず何も考えられなかった。障害者になると思った時、背すじが冷めたく手がふるえた。
 退院し障害者になった息子は電話をしても手紙を書いてもメールをしても連絡はなく、生きているのか死んでいるのかわからず不安な日々。主人に話すと「言うな」と打倒され誰にも話せなかった。昼となく夜となくふっと気付くと、息子の事を考えていた。私自身がうつになりそうだった。精神内科の先生、電話相談、そして室内犬を飼い、主人にも少しずつ聞いてもらい半年が過ぎた頃、息子も仕事に少しずつ復帰した。
 暗い長いトンネルでした。私に知識と勇気があったらと今でも思います。もとの家族にかえった私達、息子の事を考える時間が少なくなった。先日、「今が一番幸せかも知れない…」と主人と話しました。今は、とても静かな日々です。でもいつか又、何かがあった時の事を考えると、やはり不安で胃の奥に重い何かがあるような。
 福祉制度を利用することで、HIVの医療費の自 己負担を少なくすることができます。収入や利用 する制度などによって負担額は異なりますが、多 くの人が生活に支障のない程度の費用負担で治療 を続けています。専門医療機関のスタッフ(医療 ソーシャルワーカーなど)やNGOの相談員など に具体的に相談をすると良いでしょう。