左矢印
右矢印
 身近な人からHIV陽性であることを打ち明けられたとき、HIVに関する知識やリアリティがあったという人も、まったく何も考えたことがなかったという人もいます。落ち着いて受け止めた人もいるでしょうし、ショックを受けて動揺した人もいるでしょう。1990年代前半までのHIV/エイズのイメージから、「死んでしまうのだ」と落胆した人もいるでしょうし、薬があるから問題は何もないと気楽に考えた人もいるかもしれません。  
 また、打ち明けてくれたひとに対して自分が何をすべきなのかを考えた人もいるでしょうし、自分の感染の可能性について心配した人もいるでしょう。分からないことがたくさんあるけれども、本人にどこまで聞いていいのか迷ってしまったという人も少なくないでしょう。
 ぼくにとってのエイズデーはこの日だろうって、そういう日がある。
ともだちとふたりで飲んだあとの、帰り道。となりを歩く彼の声のトーンが変わって、「この間、検査に行ってね」と切り出した瞬間、あ、もしかして…と頭に「HIV」がよぎった。だから、聞きたくないと思った。でも、彼はそのまま言葉をつづけた。
 「陽性だった」。  
彼はもう告知を受け止めていて、だから、あとはぼくの問題だった。慰めてほしいのでも、肩を貸してほしいのでもなかった。── 何も言えなかった。でも、沈黙がいやで、とんちんかんな事をひたすら並べた。
 あの夜をやり直すことができたら、じぶんは何て言うかな。あのとき、ほんとうはどんな声を彼は聞きたかったんだろう。別に望まれていることを言うのがともだちってわけでもないけれど。
 ときどき、彼とHIVの事を話すよ。彼の言うこと、気持ち。わかんないことはわかんない。でも、それを一つの話題にして、深いところをお互い見せ合えるようになってきているとも思う。
 今度会ったら聞いてみよう。あのとき、どんな気持ちだったの?
 「どうしよう!」 最初に頭に浮かんだのがHIV=エイズ=死のイメージでした。 
  我が子の死が目の前につきつけられたようで私はパニックになりました。この子を死なせてなるものか!そんな気持ちと共に途方に暮れてもいました。一緒に死のうかとも考えました。
  HIVについて医師から説明を受け、納得はしましたが、完治する事はないという話に喜びもつかの間、またどん底に戻された感じがしました。不安で不安で!
  今思うと、一緒に話を聞いていた息子はそれ以上に辛い思いをしていたのでしょう。それでも息子は、自分の道を見つけて前に進みました。それを何とか支えようと私も頑張っていましたが、耐えられなくて、何度も支援団体の電話相談にかけたり面談に行ったりしました。
  私の話を静かに聞いてくださり、的確なアドバイスをもらって救われたのが、今となっては良い思い出となりました。あの時は本当にワラにもすがる思いでいっぱいだったのです。
  このお話を頂いた時、ふと何時の事だったかしらと思えるほど、今は息子も落ち着いて暮らしています。私もそんな姿をみて毎日を大切に生きて行きたいと思います。
 HIV陽性者のなかには、伝えることのメリットとデメリットをはかりにかけるという冷静な人もいれば、1人で抱えきれずに思わず伝えたという人もいます。伝えられる側の受け入れる能力や心のゆとりを気にする人、同情されるのがいやだと思う人もいます。夫には伝えるがその実家には伝えない、家族の中で母親だけに伝える、ゲイだということを隠しているのでHIVについても伝えられないという人もいます。会社の上司にだけ伝えている人、ゲイの友達にだけ伝えている人、一生誰にも言わずに墓場までという人も……。HIV陽性者の思いや事情もさまざまです。
  一方、変わらずに今まで通りのつきあいを続ける友だち、疎遠になってしまった人間関係、伝えられたことでかえって関係が深まったパートナーなど、打ち明けられた人の反応やその後の人間関係もさまざまなのです。
 HIV感染について、専門職が陽性者本人に対して告知を行う場合でさえ、本人がパニックになってしまう事がよくあります。自分が親に対して病気の事を伝える時に、果たしてスムーズにできるのか自信がありません。もちろん上手にやる必要はなく、むしろお互いがより深く分かり合うためには、一時的でも感情的になったほうがよいのかもしれません。
 私も親以外の人間、たとえば友人に対してはそのような考えで、相手を選んで伝えるようにしていますし、伝えて良かったと感じることばかりです。
 友人であれば「そんな考え方、生き方もある」という理解が可能ですが、親は自分の分身でもある子どもがHIVに感染していると知ったら、困難の末に理解はできたとしても、納得までは出来ないのではないかと思うのです。理性ではなく、感情的な強い繋がりがある関係だからこそ、どうしても分かり合えない事もあるような気がします。
 単純な考えかもしれませんが、伝えない事は自分が苦しむ事であり、伝える事は相手を苦しめるのではないかと思ってしまうのです。大好きで大切な親だからこそ、相手を苦しめるのではなく、自分が苦しむという選択を自分はしています。
 大げさな表現でしたが、親子とはいえ、もうすでに自立している大人同士です。生死に関わる事は伝える必要があるかもしれませんが、現在のHIVと自分の付き合いを考えると、必ずしも伝える必要はないのではと、肩の力を抜いています。
2011年、日本が東日本大震災で大変な時に、
僕は、HIVに感染しAIDSを発症して、
その夏、長くて長くて長い入院生活を送った。

あれから、2年経って、
感染以前とそんなに変わらない暮らしをしている。
これを、病気を受け止めたと言うのなら、
僕はこの病気を受け止めたのかな?

内服の時、一生飲み続けなくちゃいけない薬なんだな、
と少し面倒に思う。
内服を他人に見られないように飲まなきゃ、
といつも注意を払う。

ご飯を友人と食べに出掛けた時、
「俺が感染者と知っていたら、
一緒に出掛けたりしないンだろな」と
目の前の友人の顔を見て思う。

お臍の下辺りがズキン!とする人に会っても
「好きになったら迷惑かけちゃうな」と自分の気持ちを抑える。

いつかまた入院した時に、
両親や兄弟が感染を知ったら驚くだろうな、
と恐怖に似た気持ちに陥る。

職場に感染が知れたら、
同僚はパニックになるだろうな、
と容易に想像できる。

…『感染していなかったら』、
といつも思っている僕はまだこの病気を
受け止められていない。
長く付き合っていくのにね。

この病気を受け止められるまで、
も少し時間と経験が必要だな。
それより先に「完治」する治療が始まるかも。

僕がHIVに感染した事で、
僕の世界を見る目が変わって、
僕は自分の行動を抑制している。
きっと感染した事を周囲の人に告白したら、
一気に僕の世界は変わって
僕の行動は静止するだろうな。
 彼氏は東南アジア出身の外国人。2008年6月、日本企業の現地法人から出向して来ていた時にフォトメで知り合った。
  2010年2月末、一時帰国して再び赴任してくる直前にSkypeで連絡があり、泣きながら「もう日本に行かれない」と。出国前に会社がおこなった健康診断でHIV感染が判明したため「日本へは赴任させられない」と言い渡されたと言う。「帰国中の数か月に感染したらしい。心当たりはある。でも愛している。どうか許して欲しい…」。僕は彼氏一筋だったから、彼氏が浮気してたことがすごくショックだった。けれどそれより何より、もう二度と会えないかもしれないと思うと悲しくて仕方がなかった…。でもその時は「もうすぐ死ぬんだ」と彼氏が勘違いしていたから、励ますのに精一杯で。今すぐ抱きしめたいと思ったけど、Skypeじゃそれは無理だった。
  状況から僕自身が感染している可能性は低かったのでそれほど心配ではなかったけど、後で念のため検査には行った。彼氏との話の後、急いで東京の支援団体に電話した。外国の状況を知るのは難しかったからとても不安だったけど、相談員の方が親身になっていろいろ調べてくださったので、本当に助かった。幸い、彼氏は現地の支援団体につながることができ、その団体のスタッフが「HIVに感染しても適切な治療を受ければ普通に仕事ができる」と会社側に説明してくれた。おかげで彼氏は日本に来ることができて、今は以前と同じように働いている。
 HIV陽性であることを周囲の誰に伝えたのかをHIV陽性者に聞いた調査(※1)では、「最初に伝えた相手」は友人がもっとも多く、次いで、付き合っている相手でした。「現在までに伝えている相手」は、それらに加えて、過去に付き合っていた相手、母親、きょうだいが多くなっていました。
 パートナー、配偶者、家族、友だちとの関係は実にさまざまです。もともとオープンに話をする関係もあるでしょうし、そうでない場合もあります。家族のなかでも、父母きょうだいの誰かによって親密度が異なることはよくあります。年代や同居をしているかなどによっても関係が異なるかもしれません。別の調査(※2)では、約4割の人が同居している親に、約5割の人がきょうだいにHIV陽性であることを伝えていませんでした。
 なぜあなたに「HIV陽性である」ということを伝えたのかを考えてみると、自分がどのようにしたら良いかというヒントが見つかるかもしれません。
(※1) HIV陽性者による周囲への告知体験、周囲の被告知体験が予防行動にもたらす影響についての調査 ~ HIV陽性者への質問紙調査~(厚生労働省 HIV感染予防対策の効果に関する研究班,2007)
(※2)「HIV /エイズとともに生きる人々の仕事・くらし・社会 ~ HIV陽性者の生活と社会参加に関する調査報告書」 (厚生労働省 地域におけるHIV陽性者等支援のための研究班,2009)